「白黒」の脳

2010/05/31
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あなたは他人に
騙された経験があるだろうか?
私は、ない。

いや、あったのかもしれないが
今、思い出せない。
たぶんそれは、騙された
内にも入らない、どーでもいい
ことだったのだろう。

あ、1つ思い出した。
昔のバイト先の店長が
「俺の両親はサーカスで働いてたんだ」と
言うので「へぇ〜。変わった職業ですね」と信じていたら
バイトの男の子に「冗談に決まってるでしょ」と
言われたくらいだ。(ほんと、どーでもいいなぁ☆)

もともと、生まれつき騙されにくい性格ではある。
幼いころから物事を「表」、「裏」、「表」、「裏」と反転して
見るクセがあるのだ。
リスクの少ない情報ならともかく、大抵は、「表」、「裏」、「表」、「裏」と
やってしまう。

よく、「あんな人だと思わなかった!!」と他人から
ショックを受ける人がいる。
私は「表」をそれほど信じないのでそういったことはまず、少ない。
そして誰かの「裏」側(社会一般的に)を見たとしても「なるほど」で
終わる。2010053115175711605.jpg

「表」ばかり表現された世界を
見て、異和感を覚えることがある。

美しい「表」を強調すればするほど、
そこに強烈な「裏」ができる。


つまり「表」が「裏」をつくるのだ。


「あんな人だと思わなかった!!」なんて
ショックを受けないよう、
また、
「私ってこんな人間だったんだ!!」なんて
自己嫌悪に落ち過ぎないよう、
脳みそをちょっと「白黒」にしてみてはどうだろう♪

ダイナミックにおもしろいよ!♪

 
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突破力を学べない世代

2010/05/27
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『自立』。それは現代の多くの若者が
心の奥底で目指していることでは
ないだろうか。

『自立』と言っても、
「経済的自立」なのか、
「精神的自立」なのか、
その両方なのか、
漠然としてもいるけど。。。

不況不況と叫ばれているが、この時代は
過ぎ去りし時代に比べても一応まだ豊かな時代だ。

私たちの親の世代が真面目に働いてこの国は豊かになり、
食べるのに困ることは少ない。

親たちは、どんどん豊かになっていく時代の中、
愛する子どもに部屋を与え、お小遣いを与え、目一杯愛情を
注ぎ込んでくれた。
何でもしてくれる(文句を言いつつ)ので当然、何にもしない子に
育つケースの方が多いに決まっている。
そしてメンタル面はどんどん弱くなって行く。ちょっと剣道や空手の
お稽古ごとをさせてもらったところで「親の愛情」はなかなか倒せない☆

つまり、私たちの世代は、生きるために必要な『突破力を学べない世代』
なのだ。
安全なコンクリートの箱の中で守り育てられているわけ。

ただ、宿命的に先祖や親と縁が深く、本人が心から幸せを
感じているのなら、そういう人生もステキなことだ。

私が最も心配なのは「コンクリートの箱の中で窒息しそうに
なっている人たち」のこと。
なぜなら私もそれを経験しているから☆

あたりまえのことだが、自分のことを一番理解してくれる人間が、
「家族」だとは限らない。

“だったら箱の外へと探しに行くまでだ!!”

そうやって人は独立したり、結婚したりする。

言葉にするとバカみたいに簡単だが、住み慣れた場所を離れるのはとても
勇気がいるってことも知っている。家賃だってかかるしね。

昔は「自立」なんて言葉は意味を持たないほど、当たり前のようにみんなが
家を出るしかなかった。

だから、こんな時代こそ、「自立」した人のメンタル面は強くなるのさ♪

 
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女心と秋の空♪

2010/05/26
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恋愛も仕事もはじめからトントン拍子には
いかないやね(笑)
しかし流れだすと案外スムーズなんだけどね♡

特に恋愛を進めるためには、先ず相手から好かれなきゃならないし、こちらも相手を好きになっていきたいよね。

つまりモテないといけないわけだけど、「モテるってどういう人」なんだろう。

たぶん「相手を飽きさせない力」だ。

「女心と秋の空」って言葉(女心は秋の空のごとく変わりやすいという意)があるけど、これは女性の魅力を少し褒めているようにも受け取れる。つまり女性には色んな面があって、男性を驚かせるくらいが良いってこと。(もちろん全ての男性に受け入れられる性質でも無いのだが。そもそも全ての異性に受け入れられる性質なんてものはたぶん無い。あったらあったでいいけれど)。

もうひとつ重要なのが、「感情的になれるか、どうか」だ。
恋愛は知性や打算でするものではない。感情で行うものだ。だから、たった1人の男性(女性)の感情に訴えるものでなければならない。結婚などもそうだが、たとえ1000人の異性から嫌われようともたった1人の異性に好かれる覚悟を持たないと話にならない。
だから感情的(時にバカ)になれるか、なれないかは大切なのだ。

私が知っている限り、ちょっと幸せそうに見える(ホントのとこは聞いてないからわからないヨ☆)
恋愛や結婚をしている人たちは、例えば女性なら人前で平気でダーッと涙を流せるような感情的人間だ。ときには人前で怒り狂うような(しかも泣きながら)“困ったさん”なのにダンナさんから愛されていたり(愛というより心配か?)する可愛い女性も。男性なら若い頃(あくまで若気の至り)に留置所にちょっと入って制度から怒られちゃった経験があったり、ちょっぴり不良してて色んな経験をした結果落ち着いた大人の男性に成長した人など。(他人に迷惑をかけることは本来は許されないことです!)

まぁ要するに、女性は「我儘」で、男性は「わんぱく」。これは社会的にはどうかと思うが「異性の魅力」的には少し取り入れてみるのも良いだろう。
まぁほどほどに。。。

恋愛、結婚も、社会的魅力と同じ、「本気の生きざま」がモノを言う。

さぁ感情に訴えよう!

人前で泣ける女になろう!(一部の同性からはモーレツに嫌われるかも知れないが、これも“世界に1つの恋愛”のためだ!!)

「無感情」、「無感動」は恋愛の最大の「害」なのだから。

 
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サバイバルに必要な「想像力」

2010/05/25

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『闇の子供たち』という映画を観た。

子供たちの人身売買などが描かれた作品である。
以前から気になってしょうがない作品であったが、テーマが重いとわかっていたので躊躇していた。が、先日のテレビ放送で観る機会を得た。

全編にわたって私は犠牲となっていく子供たちに感情移入していた。「私があの子だったらどうだろう」と。これは、子供の頃からの一つの私の本能である。本能的にくやしさが込み上げてくる。「自分自身を守りきれない、守る力が備わっていない」というくやしさ。そのくやしさを心の中でシミュレーションし、今日まで成長してこれたように思う。

日本は他国と比べ、まだかろうじて安全なように思われているが「精神的な殺し合い」は日常茶飯事にあったりする。“言葉の暴力(イジメ)”、“ドメスティックバイオレンス”、“パワーハラスメント”など。。。2010052519250730792.jpg

私は精神的にも肉体的にも、「生き抜く」ためには「くやしさ」をしっかり認識することがまず大切だと思っている。目にした全ての「悲しみ」を教訓に、「真剣に考える」ことも。真剣に考えたことがすべて正しい答えを生むとは限らないが、とりあえず自分の生き方は見えてくる。

「ああなったらどうしよう」と“悩む”のでなく、「ああなった時は(自分なら)どうするだろう」と“考える”。

神様は人間が自己を守り生きられるように「想像力」を下さった。

人を傷つけないための想像力。
自分の身を守るための想像力。
人を愛するための想像力。

「無力」な時もあるだろうが、「無駄」ではない。







 
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これはパーティーかもしれない?!

2010/05/20

子どもの頃の「パーティー」と言えば、「お誕生日パーティー」などを
思い出す。
大人になると、「お見合いパーティー」、「趣味のパーティー」、「お食事パーティー」
などであろうか。

だが、心から楽しめる本当のパーティーとは、何も大それたものでなくて
いいんじゃないかと思う。強引な企画で集められて、くだらない時間を
無駄に過ごすよりも、独りで映画でも観た方が有意義なときもあるだろう。

私はパーティーが好きでない。
その場からふらっと立ち去りたくなる。(実際立ち去る。なので、できる限り行くことはない)

そう、世の中にはパーティーが好きな人もいて、嫌いな人もいるということだ。
パーティーが好きな人たちから、きっと私は理解されないだろう。

ただ、数人と心から楽しい時間を過ごした後に、「あれ?これはもしかして
パーティーだったのだろうか」と感じさせてくれる機会にはいつも感謝している♡
つまり私が嫌いなのは「パーティー」という“設定”であり、
パーティーに集まる人たちではない。

企画・設定・ルールなどを飛び越えたところに「本当のパーティー」が
あるのではないか、と思う。

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「占い」がなぜ必要か

2010/05/19
こんにちは MIBIRDです♡
こちらに日記を書くのは久しぶりです。

リーフ、オスキョーなど、『MIBARD』でばかり日記を書いていましたので
こちらでも何か書きたくなりました。まぁひとり言のようなものを。
ちなみに、『MIBIRD』と『MIBARD』は、同じわたくし、
若水 紫惚でございますが
私の中で少し気分が変わります。(それは個人的なことなので省略します)

さて、皆さまは「占いってほんとうに当たるの?」とか
よく耳にされませんか?
占いは「当てモノ」じゃ〜ありません☆
「自分のためのキーワード」です♡

故に、そこに人生がある限り、必要とされるべき「情報」なのです!

『MIBIRD』が何度でも、皆さまにお伝えさせていただきたいこと、それは、

『「世間一般論」は「個人の幸せ」には通用しない!!』ということ。

なぜ、いまだに「社会」とか「家族」とか「結婚」などの幻想に
縛られるのでしょう?
ありがたいことに「戦争」などというものが無いこの現代日本では、
「社会」、「家族」、「結婚」の前に「個人」があるのです。
昔はそうではなかったかも知れない、
でも間違いなく、今は、「社会」も「家族」も「夫婦」も「個人」の
集まりなんです。

皆それぞれ、自分のことをよく知った上で、他人と関わるべきなんです。
そして人間の心というか、脳というか、それは必ずしもいつも自分に正直
とは限らない。
そこで悩みや、迷いが発生する。
だから「占い」が必要なんです。
もちろん「占い」だって万能ではない。でも、心、脳、に、「(運命の)情報」を加えて生きることは
決して無駄ではない。とても生きやすくなるのです。

「社会」に従うつもりもないのに変に気にするから、おかしくなるのです。
「現代社会」はあなたにも私にも「従ってくれ」とは言っていません。

“最低限のルールは守り、後は各々自分のことは自分で考えて下さい。”と言われているのです。

また、「個人」の前に「社会」が立ちはだかる未来が訪れるかもしれない。

でも今は今を生きよう!
この「パーソナル(個人)」の時代を堂2010051916363727306.jpg々と生きようよ!!

 
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