相性の善し悪しを見抜く目

2010/06/27
201006271446145094.jpg2010062714455111490.jpg













恋愛運や結婚運はスムーズにいく人もいれば
少々工夫の必要な人もいてさまざまだ。

自分の磨き方(工夫)次第でどんな人でも恋愛・結婚はできる。
(但し、恋愛・結婚だけが人生の全てではない。しなくても
素晴らしい人生はたくさんある。)


しかし相性を見抜く目を養わない限り、恋愛・結婚を含め、
対人関係には色々苦労することになるだろう。

「相性」などと言うと、ミもフタもない感じがするけどこれだけは、
見抜かないことには、どうしようもない。
占い本などだけで見る相性だと、偏った判断をしてしまう場合があるので、
これは見た内には入らない。
また自己判断に頼り過ぎるのも危険なので、友人や周囲の人間の声にも
耳を傾ける必要がある。

恋でも結婚でも仕事でも、「見る目が無かった」と、どれほどの人々が
後々苦労をしていることか。
たぶん彼女(彼)らに誰も相性の「見抜き方」を教えたり
しなかったのだろう。
こういうものは一般には「自己責任」とみなされるからだ。
物事に選択の余地のない時代に生まれたのであれば、「相性」など
何の役に立たないかも知れない。
が、
選択の時代に生きる私たちは違う。

「そんなこと言ったって俺には選択の余地なんて無い」。。。
「私には出会いがなかった」。。。

彼(彼女)らは世界の果てまで一生をかけて探しに行った上で、
そんなことを言うのだろうか?

適職に就いている人や、(その人にとって)幸福な結婚をしている人たちは
ある意味世界の果てまで命がけで探しに出て、それと出会っているのだ。
(宿命や、タイミング的に、あまり苦労をせず出会った
少数の人たちのことはここではちょっと置いておこう)

個人の運が求める相性については、ここでは当然書き切れる量の
ものでないが、
どうか一人でも多くの人が素晴らしい相性と出会ってほしい。

希望の灯は、まさに死ぬその時まで、絶対に消してはならない。

 
Comment(0) Trackback(0)
この記事へのトラックバックURL
ボットからトラックバックURLを保護しています

箱舟

2010/06/26
2010062616023230219.jpg

私は毎日毎日、「個人の幸せ」とは
何なのかを考えている。

何故なら私は
日本人で、
日本に生まれて、
日本で育って、
日本の恩恵を受けているからだ。

御存じの通り、日本は
ユダヤ教圏でもキリスト教圏でも
ヒンドゥー教圏でもない。
もはや仏教圏ですらないのかも知れない。
八百万多神教の国である。
それどころか、一切神を信じなくても生きて行ける国だ。

なので
こんなに「個人の幸せ」
(「他人の幸せ」を一番に考える「自己犠牲」精神も本人がそれを望むなら、
それも、その人の“個人の幸せ”と言える)が
重要視される国は他に見当たらない。

なのに何故人は群れたがるのか?
集団心理による安心感、共同で何かを成す喜び、いろんなタイプの
人間が集まるお祭りのような楽しさ。。。
確かにとても価値はある。
が、その先、皆が同じ「箱舟」に乗れるのだろうか?
乗れない。
私たちの「究極の幸せ」はほんとうに、個々それぞれなのだ。


よく「友人の多い女性は良い恋愛に恵まれない」と言われるが、
これは違う。
この言葉より
「集団の中に安心し、個人の目的がボケている内は、良い恋愛に
恵まれない」という風に言った方が的確ではないだろうか?
イヤイヤ、これも人による。だって個々それぞれなのだから(笑)
話が少々それた。

ただ言えることは、
人生、
「集団の箱舟」の幻想に惑わされてばかりいずに、
「個人の箱舟(家庭・真の少数の仲間たちと共)」に
乗り込んで進め!
ってなところでしょうか☆

 
Comment(0) Trackback(0)
この記事へのトラックバックURL
ボットからトラックバックURLを保護しています

世の中はあいまいで結構だが、個人の幸せはどうだろう?

2010/06/20
201006201511337128.jpg

大人になって感じたことだが
今の世の中ってけっこう
「あいまい」だ。

何かふわふわしていて、ぼけている。
まるで抽象画のようだ。


世の中なんてものは集団なのだから、別に「あいまい」でヘラヘラ
していても結構。
でも、個人の幸せはどうだろう。

あなたは正しく「心のよりどころ」を持っているだろうか?
「よりどころ」が的外れであると、運勢も浮上できない。

「もうこんな毎日は、恋愛は、人間関係は、たくさんだ!!」と
強く思った瞬間から、新しいあなたがはじまる。

「あいまい」から抜け出そう。

自分の運を知ろう。
 
そして、進もう!!

 
Comment(0) Trackback(0)
この記事へのトラックバックURL
ボットからトラックバックURLを保護しています

おとな迷子

2010/06/17
201006171510125989.jpg
子どもは大人より土地勘が無いので「道」に迷う。

大人は要らないものをたくさん見過ぎて
「人生の道」に迷う。


子どもが「道」に迷ったなら、泣いて他人に尋ねればいい。

しかし「人生の道」に迷った時、いったい誰があなたの道を知るだろう?
誰があなたを目的地へ連れて行ってくれるだろうか?

大人は、物事にもっと楽しんで(時に苦しみながら)
「こだわり」を持った方が良い。
「こだわり」=「道」である。

「別に自分の道など要らないし、まわりに合わせてなんとなく生きて
行けたらそれでいいよ」と言う人もいるだろう。そういう人は
そのスタイルそのものが「無意識のこだわり」であって、
もう立派な「道」なのだ。


個人の「こだわり」は全ての人間に受け入れられることは無い。
だから、それを受け入れ、欠けらでも理解してくれる人間を
私たち大人はさがし求める。
「運命の相手」、「ソウルメイト」と呼ばれる人間を。。。

やがて、「こだわり」だけを持ち続けるのではなく、
それを実現するための「手段」が欲しくなる。

「こだわり」+「手段」は大人の幸福の条件だ。

中途半端にあいまいな「こだわり」だけ持って、
「手段」は他人にお任せします。
といった無責任さでは“あんよは上手”とずる賢い人間に
利用されるのがオチだろう。

大人が本気で道に迷ったら、先ず「こだわり」を確認し、
「ずる賢い人間」にではなく、「普通に賢い人間」に相談する。
そして「ソウルメイト」と出会い、幸福の「手段」を拾い集める旅に出る。

そうすればもう、あなたも迷子なんかじゃない!!

 
Comment(0) Trackback(0)
この記事へのトラックバックURL
ボットからトラックバックURLを保護しています

光と闇、これこそが人間の魅力

2010/06/10
2010061018494111137.jpg201006101851487895.jpg
2010061018501118171.jpg









人はなぜ、自分の暗く不気味な部分を他人に悟られまいと
脅えるのだろうか。
暗い部分を持っていても、それは、それこそが、人間の魅力なのに。

多くの哲学者たちが「人は天使と悪魔の両面をもつ」と言う。
神話や漫画にその力を求めずとも、あなたの中に“それ”はあるのだ。

そして、このバランスをコントロールするものは、あなたの意思。
若い時期、とくに、子どもなどは善悪のコントロールが上手くない。
上手くなったら、それはもう立派な大人の証だ。

あなたには自分の暗い、闇の部分を表現できる相手がいるだろうか?
友人?恋人?配偶者?

誰かに嫌われることを、あまり恐れ過ぎては、いけない。
いい人ばかりを演じていたら、あなたの人間としての魅力が嘘になる。

誰かに嫌われてもいい、自分のことを伝えないと、この世界のどこかにいる
運命の相手に、あなたの魂が届かないよ!!

 
Comment(0) Trackback(0)
この記事へのトラックバックURL
ボットからトラックバックURLを保護しています

あなたにとって、最高の教師

2010/06/09
2010060915243915336.jpg
あなたがもし、あなたの人生を、
「世界でたった一つの
かけがえのないもの」に
したいのだとしたら、
「これだ!」と感じる訓練を怠らないことです。
「これだ!」はある日突然やって
来るかのように
思われがちだけど、実際は“「これだ!」さがし”の
蓄積で一本の道へつながっている。
「これだ!」と感じたら、あせらず時間をかけて、その思いを
育てることです。

あなたは過去に何に感動し、衝撃を受けてきましたか?


私事で申し訳ないが、
私が一番初めに衝撃を受けたのは、幼稚園の先生に
「他人の思いやり方」を学んだこと。
個性を大切にする先生で(しかも美人なんだよ♪)、よく褒め、
また、よく叱ってくれた。顔も、声も、表情も、昨日のことのように
思い出せる。

二番目の衝撃は、小学校一年生の「道徳」の授業でした。
小学校は、漢字を習ったり、計算を習ったり、運動したりする所だとしか
思っていなかったので

「こんなの、授業で学ぶんだ!!」
「深っ!!」
「これは私の人生に、ぜったい必要なものだ!!」と感じたことを
今でもはっきりと覚えています。
「さんすう」の授業中も、「道徳」の教科書を「さんすう」の教科書に
挟んで、隠れて読んでいました(笑)。
「さんすう」なんて別に、いらなかった(笑)。
(ただ、「さんすう」の得意な子は当時から尊敬していたし、好きだった。
だってカッコイイじゃない♡)。

それからの毎日、本を読んでいても、映画を観ていても、
友人と遊んでいても、ケンカしていても、親に叱られていても、
絵を描いていても、恋をしていても、
「ミキ先生」と「道徳」が“北極星”のように中心に潜んでいる。
そして現在も「道徳つながり」的なものが私の中で集まり集まり膨らんで、
巨大化していくのがわかる。どこまで行くのかって感じだ。


。。。まさかとは思うけど、一度も「これだ!!」に出会ったことがない、
なんて、
ないよね!?

☆あなたの今までの人生経験を軽く見ちゃあいけないですよ☆

道に迷ったら、一度、原点に立ち戻る。

あなたが、何を(誰を)好きだったのか。
あなたが、何に衝撃(ショック)を受けたのか。
それは、今でもあなたの中でつながってはいないのか?

だから、「過去」はあなたにとって、最高の教師です!!

 
Comment(0) Trackback(0)
この記事へのトラックバックURL
ボットからトラックバックURLを保護しています

夢との別れと金平糖

2010/06/03
2010060318014811493.jpg

私は高校生の時、将来は絵を描く仕事に
つこうかと思い、漫画なぞ描いていた。
当時から占いの研究をしてはいた
のだけれど趣味でしていたので、
まさかの逆転で現在に至っている。

まぁ、高校時代には見えなかった「宿命のあれこれ」が今は見えるし、
知識も増えたので、この成行きは当然かと思う。


高校一年生の春(二年の春だったかな?)、なかなか良い感じの
ストーリーを思いつき、漫画を描き始めたが〆切りに間に合わなかった。
けっこう夜も寝ずにがんばったし、
遊びにも行かず描いていた。

が、間に合わなかった(笑)

そこで、全て描き終えたら口にしようと思い机の上に飾っていた金平糖を
マンションのベランダから満開の桜景色を観降ろしながら頬張った。

そのときの至福感は今でも忘れられない。

夢をあきらめたのに何故至福なのか?
それが正しくは夢ではなかったからだ。
夢だと思い込んでいたけど夢ではなかった。(負け惜しみではなく)

そんな経験、皆さんにはないだろうか?

失恋と似ているかもしれない。

占いの世界では縁の無い人とはいずれ離れるようにできている。

つまり、「失った恋」ではなく、「縁のなかった恋」となる。

思えば、私なぞは描く作品、描く作品、決まってテーマが
「人間の深淵」なのだ。
そんなもの、心理学者か占家にでもなった方がより良い方向に
決まっている。

ずいぶん楽しくも苦しい(ほとんど苦しい)回り道は
その後数年続くのだが、
回り道をして良かったと思う。

回り道の経験もなく占家になるなんて、そんな恐ろしいこと
考えられないもの!!

 
Comment(0) Trackback(0)
この記事へのトラックバックURL
ボットからトラックバックURLを保護しています

左目で見る風景

2010/06/02
201006021337503093.jpg

「なんだか最近、物事が
ありきたりに見えて
退屈だな〜」と感じているなら、
「右目」を瞑って街を歩いてみて♪

「左脳」とつながっている「右目」を
開けていると
考えが常識に偏り過ぎる。
(特に「左脳」に偏り気味の日本人は)。


「左目」で見るものは「右脳」と
つながっているので
色とか雰囲気とか、とても鮮明に、楽しく見えるハズ♪


普段、「両目」で見ていた風景がとてもファンタスティックに
見えるよ♪(運転中はダメだよ?)
きっと、恋にも効くんじゃないかな♡

戦国武将の伊達政宗は、幼少時に「右目」を失明したそうだけど
もしかしたら、イメージや想像力が発達し、他の武将たちには見えない
独特の世界を見ていたのかも知れない。

私的には、「右目」だけで街を歩くと、看板の文字とその意味
ばかりが気になってくる。

そして、今度は「左目」だけで歩く。
すると街の雰囲気や看板の色が、とても幻想的に見えてくるんだ!♪

「右脳」を発達させようと「手を左利きにしよう」という人もいるけど、
私は「左目だけで風景を見る時間」を、たまに、持とうと思う。

もちろん、「右脳」で感じたイメージを誰かに伝える時は
言語を司る「左脳」が必要だし、
「右」も「左」も大切にねっ♪

 
Comment(0) Trackback(0)
この記事へのトラックバックURL
ボットからトラックバックURLを保護しています


BLOG MENU
検索窓
会社情報
ご予約はこちらから
メモ帳
最新のトラックバック
お問合せ
以前の記事
最新の記事
最新のコメント
最新情報